「死を恐れる」のをソクラテス先生は…
ソクラテス先生はさ~?
「死」を恐れることは、
「知りもしないこと」をさも知っているかのように振舞う愚考(愚行?)だ!!!
と、断言されておりますが…(上記、完全なる某の意訳な解釈訳ですが…出典:「プラトン ソクラテスの弁明ほか」中公クラシック)
うんうん、なるほど…確かに…でも、そうかなぁ…^^
と、…生意気にも某はソクラテス先生のお考えに異を唱えたくなってしまい!
唱えさせていただきます…よ!(試験的に…ね汗)
たとえば、
まず「死」を怖いと思うのは…「死」がこの身に起こったらどうなってしまうのか、
「わからない」「知らない」「試せない」「結果(死後状況)が未知」
だから「怖い」のではないかな~…と、まず!思ったんですよ!
でもちょっと待ったしました。
たとえば、
殺人鬼が目の前に居たとして、恐怖に駆られたら…それは
「(きっと)殺人鬼が自分を殺るだろう」と予測をする…してしまう…だから怖い。
とする…てぇ~と?つまり~?
「目の前に居るのは殺人鬼だ」という「知識」(それか「情報」)が!
「自分を殺すかもしれない存在」という「知識」というか「知恵」か「想像」となり
結果、眼前の人物を「恐れる」ことになるんだよね?
あ~…ソクラテス先生の「知りもしないのに恐れる」ことになってるのかも…
目の前の殺人鬼が自分を殺す「かもしれない妄想」をしたから「恐れる」のであって
もし、眼前の人物が殺人鬼だと知らなかったら「恐れない」んだろうね…。
ん~…この試行的思考は建設的な順序段階を踏みながら行えているのか…?全く自信は無いのだけれども!
多分!「未知」に対する「恐怖」というものは断言できないんだろうな!!!ということは!試しに突っかかってみてわかったような気がする!!(自己解決…?)
「未知」に対してはワクワクやドキドキやちょっぴり興奮or不安、などが適当だろう。
「死」を知りもしないのに知ったかぶって怖がるのはアホ!という説は…ま~確かに。でも「想像」して身を守ろうと「恐怖心」を抱くのは自然な反射というか…本能というか…そんな気もするわけで。
ソクラテス先生に弁明してもらいたかったな~…。
正直納得いかんとです!!!笑
「死」する時については恐怖するのに
「生」を受けた時は…まぁ泣いて居たんだろうけれど、
恐怖からだったのかわからんし。覚えとらんし。…知りたいけれども。
生まれたての赤ちゃんて、どんな気持ちで泣くんやろ…
恐怖だったら全身ガクブルやろな…。
話戻しますが…(簡単に逸れまくって日々脳内ぐちゃぐちゃ混沌…)
「死」は恐れるものじゃないぜ?っていうソクラテス先生の意見は
めっちゃ頼もしいですよ、単純に。
けど、ん~ホントにそんなもんか?とは思っちゃうよな~と。
死にたくない…生きていたい…って人が多いんだろうし、
自分もいざとなったらそう思うのかもな…とか。
でもでも、「死」は「生きること」と一緒に、
この世にありふれているんだということを思えば、
きっと「生」を受けた時同様に
「死」する時も
わけもわからん内に「出現」しているんかもしれんよ。
異世界とかにwww
転生だか知らないけれども…
「生」じる
「生」まれる
「生」きる
ことの終わりが「死」なのか、「死」は転換期でしかないのか、なんなのか!
ぜんぜんわからんとですが!!!
知らんこと怖がるより、楽しみに待つ…(のほほん)くらいのがいいかな~
なんて。割とちびっ子の頃から思ってました。(ほんとにw)
死んでみたいな~wktk!くらいの好奇心はあったんで…物騒だがな…汗
ま!「死」を楽しみに!今は「逝く」より「生く!」ことを…永らえましょうかね
ソクラテス先生、なんかよく分からないけどありがとう!!!
色々考えることができて、ちょっとは落ち着いて生きて居られそうです~w