かおするーむへようこそ

口語、語調不揃い、雑多、グチグチ…etcご容赦いただける方はようこそ…

言わなくていいこと

わたし、結構人にすぐ「好きです!」って言います。もちろん、男女問わず。尊敬と親愛を込めて、というスタンスで、です。

「悔いなく生きる」をモットーに「思いは必ず伝える」を心がけてきたんですね、だいぶ幼い頃から…。

人はいつか別れるし死ぬんだから、そのときそのときを大切に、絶対後悔しないように振舞って死にたい、悔いなく生きて、悔いなく死んでやるぜ!ってずっと「悔いなく、悔いなく」を心に刻んでましたね…、今はそんなに切羽詰った生き方してませんが、こどもの頃、やたらと人生の短さに焦ってました…儚いんだぞって。我ながらすごいな…笑

あ、でも最近「好きです」って安易に言わない方がいいんだな、と学びました。

自分は恋愛感情からの好きじゃなくても、キチンと説明しないと誤解されるんですね…まぁ当然ですかね…。(異性なのに分かってくれる方もいらっしゃったんですがね…レアケースだったのかな~)

 

ここで、数年前にお別れした元カレ君の話をちょっとします。

元君は、当時別の人と長く付き合っている最中だったわたしに好意を抱いてくれたんですが、凄く慎重にアプローチしてくれてたんです。さすがにわたしも気がついて…諸々状況も変わったタイミングで話してみたら、

「今の関係(親しい友人)で良いと自分に言い聞かせてきたから、言わない…言わない」って…。(萌)

不倫…とか話題になる度に元君のこと思い出すんですけれど、彼みたいに踏みとどまる人間でありたいなって…。

わたしから見た彼は戦国武将的というか…ザ☆日本男児って感じで…口数が少なくて、黙々とゲームかスポーツかツーリングか筋トレに励む、孤独を愛するような人だったんですが…わたしが寂しがり過ぎて依存しすぎてダメになりました。ごめんよ…。

彼とダメになった理由のもうひとつ大きな原因は、「言う」「言わない」の対立。

わたしは悔いなく生きたいから言うんですよ、なんでも。でも彼は言わない。思いは自分の中で消化し、決して誰にも共有しないまま墓場へまで持っていく。

付き合っていた当時は両極端過ぎるあまりお互いにそれ(言って欲しかったことを言ってもらえなかったVS、言わなくてもいいことまで一方的に言われる、の関係)が負担で一向に理解を示せなかったのですが、「言わない」という姿勢も生きていく上でとても役に立つものだよな、って今は思います。

これは恋愛関係に留まらずの話。

職場や家族、親とだって、赤の他人とだって、リアルじゃないSNS上の人とだって、

相手が求めることを汲み取って&察して、適切に「言う・言わない」の加減(舵取り)をすることが、コミュニケーションってやつで、それってある種の性行為みたいなものだと思うんですよ…(唐突)

相手がここで喜ぶのはどんなことばか想像し、どのくらいの範囲(内容のスケール、話の長さ、テンション)で、そしてタイミングでそのことばをかけるべきか考え、ここぞという「ときは満ちた」な場面&タイミングでエイって放つ。…いや、もちろんこんなんを自然にやってるんですけどね、良心的振る舞いが出来る多くのみなさんが…極極当然に、当たり前に…日々。

伝えたいことを全部聞いてもらおうとする人は完全オナニー野郎です。

あ、それが自分の父親なんですけど…ほんとキモいですよ。(先日の祖父の葬儀でもここは飲み屋か!って思うくらい迷惑なクソ野郎でしたね…。みんな薄ら笑い浮かべながら聞き流すので精一杯で…。)

まぁ悲しいですが、血は争えないとこあるなって思ってしまいます。反面教師…。

言い方がアレですけど、この度…祖父の死を迎えるにあたって、普段仲良くしている親戚とも、キョウダイ間、親子間でも、色々とありました。認識の違い、温度差、事に当たる姿勢…。

実際、みんなそれぞれに違って当然なのだから、それぞれが出来る能力範囲で、それぞれが後悔の無いように、でもお互いを全力で気遣って、必要最大限にして必要最低限をがんばるしかないよね…って結論に至るまで……すごく色々ありました。

特にわたしがてこずったのが「愚痴」

主に母からの愚痴ですが、ただただ受け止め、受け流すことが出来たら良かったらしいんです…母が求めていたのはただただ愚痴を聞いてくれるバーのマスター的な?存在…。

しかし、わたしはその愚痴の原因を解決する方向に考えてしまうので、提案からはじまりそしてすぐ説教になってしまう。

母は、わたしに愚痴るとすぐ説教されるから我慢してる!とまで言ってましたけど、それでもやはり愚痴は溜まる一方で…

対祖父(@病院)、対祖母(@病院or介護施設)、対姉(嫁に行ったので色々他人事スタンス)、対旦那(散財借金野郎兼形だけの喪主)…そして対次女(仕事のせいもあり諸々非協力的)

が主な母の愚痴の対象だったけれど、母目線の愚痴というのは、愚痴の発生源(対象)には改善を求められないから愚痴になる、のであって、わたしの「愚痴が出ないようその根本を改善する!」のスタンスは永久に噛み合わねぇなモノなんです。

からしたら「どうにもできないから愚痴る」という事象も、愚痴として聞いているわたしからすると「改善の余地あり」なんです…。

「本人に言えば済むじゃない!」

そんな元も子もない返しばかりしていました。でも実際そうなんです。本人に言えるなら苦労しないよ!と言いつつも、母もがんばって伝えざるを得ないケースもありました。

そういうケースに関しては、わたしもかなり貢献(良い作用)ができたかなと思います。

しかし、対次女については…かなり危険なことになってました。

母から聞いていた愚痴を次女にぶつけざるを得ない(とわたしが限界になった)状況で、母は凄くわたしを責めました。次女には言えないから言わないで居たことをなんで言ってしまうの、しかも愚痴ってたことまで悟らせて…最低ッ!!!ってめちゃくちゃ罵られました。

妹は妹なりにかなり反省している部分もあったので、わたしの発言にもあまり感情的にはならずに応対してくれたことも助かって、冷静に話し合うことができ、雨降って地固まったのですが…

母は「あんたは結局自分を守るよね!」って、わたしが母から次女の愚痴を聞かされていたことを次女本人に悟らせてしまったことへの強い批難をしばらくの間受けましたが………ぶっちゃけ、

本人に言えよ。本人に言えないなら誰にも言うなよ。

に尽きるんですよ…。

わたしが母に嫌われようが、次女に癇癪起こされようが、その時はどうでも良いって思ってトラブルメーカーやってました。問題児ですよね。存在する意味…それな。

自分は基本トラブルメーカーだと思いますね、勝手な正義振りかざして、凪に嵐を巻き起こす野郎だなって思います。

ここのブログの過去記事にあるように…自分は怒りとか批難とか愚痴は、基本当事者に訴える(クレーム入れる)かネチネチとブログに書き綴ります。

特定の対象や人物を悪く言う、それを大勢と共有しようとする、大勢に共感を求めて自分を正義だと勘違いする、そういういじめっ子にだけはなりたくないんですよ。良いカッコしいにしか聞こえないかもですけど。

自分がどう思うか、そして自分はそれに対してどう動くか、でいいじゃない。(アドラーってこういう感じですよね、自分の課題と他人の課題を混同すな、的な。)

自分はこう思う、だからこうする、が大きなムーブメントになること自体は良いことだと思います。でもそれが自分の意思に結びついてない場合…例えば風評被害やアンチやいじめ…自分のことばではなく誰かがそういっていたからというなんともふわふわした理由で波に乗じる勢には閉口なんです。

…というのをこうして活字に起こすのも馬鹿で低レベル故の行為と思われてしまうかもしれないですけど…。

言わなくていいこと=本人に言えないこと

がまずひとつ。

そして、それを相手に言う目的が不明瞭でメリットがないことは「言わなくていいこと」ですね。

 自分語りを押し付ける…それ、オナニーだから。

ただただ負担、迷惑、この方のこと記事にするのもツイートに吐き出すのもほんとは躊躇った(そこまでして差し上げる価値無い)んですけど、

絶対…絶対見に来ると思うんで、書き留めときます…。伝わればいい!(投げやり)

ご自分は言いたいこと言い放っておきながら相手の反撃は聞きませんって…卑怯過ぎんか。

拒絶ではなく対話を取ってくれてありがとう、君ならそうしてくれると信じていたよと言ってる人が吐き捨てバイバイってほんと何事??

 こういう話題嫌です、というのをどうにか悟って貰おう、黙ってもらおうとなるべく丁寧に丁寧に返答していたのに、察して貰えず…それどころか語る気満々の様子を見せられてしまったので、拒絶に至ったんですが……。「一旦黙りましょ!!!お互い!!!」と言えれば良かったのか、とは少し思いました。が、結局、今回のような決裂の仕方でしか、お別れはなかったようにも思うので、結果オーライかな。

そしてなにより…冒頭に帰着するんですが、恋愛的に相思相愛だと思われていたらしく。でも誤解ですよ~って否定することさえ許されず(返事拒否)だったので、尚のこと記憶から抹消したいレベルで胸糞悪かったです。^^

(「我々、この方たち(男女だがあくまで学友という関係性)みたいですね!」という例を提示したはずなんですがね…)

 

…まぁこれこそ「言わなくていいこと」ですけど…

出会ってスグのファーストコンタクトから覚悟はしてましたね、きっと面倒くさくなるんだろうなって。

「さよならする時はいきなり消えないでね」って釘刺されたんですね。きっと大多数の正常な精神の持ち主の方はその時点でドン引き、警戒レベルアップ事態でしょうが。

いつ、どのタイミングで距離感ストップしよう(踏みとどまるべき)かな…って思いながら半年くらい過ごしてました、楽しく話せていたのも事実ではありますが、正直、

この方もわたしとのやりとり、結構負担だったんじゃないかなとはたまに思ってましたね。

コロナから始まったこの出来事、墓場まで持って行こうかなって思うくらいに胸糞でしたけど、こーゆー胸糞を吐き出して置く場所、ここがある意味墓場だなって。

 

もう全然忘れてしまうレベルにどうでも良い出来事になりつつあったのですが、当時のモヤモヤを完全に忘れてしまう前にここで散布。楽しかったこともあったのに終わりよければ何とやらの反対で終わりが悪すぎて忘却の彼方行きです…。

何事も過去に囚われる必要は全くないし、そんなこともあったね、でも今は前より上手に生きられるようになった!でいいの!

自分のモヤモヤは自分のもの。そのモヤモヤを手放すのは自分。他人巻き込まない。