人それぞれに能力があり、その成長速度も異なるわけで、義務教育があたかも「正常な成長速度とはこうである」と示しているものは幻想である。ということにハタチを超えてから気が付いた。(少なくともわたしはそう思ってるよ)
しかも、生きるために必要とされる能力というものが「学力、運動能力、コミュニケーション能力」程度だと高をくくっていたことも補足したい。
社会に出、自分はなんと無能なのだと頭を抱えたこと云万回…。
自分は標準以下の能力(スペック)しか備えてなかったではないか…と思い知ることとなったのが、
「自己管理能力」だッ…!!!
いいか?(10年前の自分よ…)よぉ~く耳をかっぽじって聞くんだ。嫌でも聞け…。
君はな…具体的にはお母さんによって、飼われていた、に過ぎないんだ!
お母さんという飼育員さんあっての「自分」でしかなかったのだよ!
そんな君に…君の未来に!!「期待」し!!「投資」し…!!無償で愛してくれていた…よな???
こんなそんな程度の人間になった君を!お母さんは(表立っては)責めないな!!
なんと健気で惨めで哀れか…
君はな、高校生あたりで一度1人暮らしでもしてみるべきだったのだよ…。それが無理なら1人暮らしに準じる生活を意識して行うべきだったのだよ、例えば賃金(給料)の発生するような…!
君は自分の健康はおろか、金銭管理も大変に杜撰であった…。
社会に出る…なんてのはほんとうに「井の中の蛙、大海を知る…」な感じなのだよ…
そして「能力」というのは実に個々人に固有のそれぞれのペースでしか発達しないものなのだよ…!!!
相応しい環境に身を置けば自ずと能力が開花するとでも思っていたらクソである…。
(わたしは思っていた、信じていた…が、全くそうではなかった、その認識は完全に間違っていた!)
だが、ひとつだけ胸を張って主張できることがあるとすれば、
「大学は、相応しいタイミングで且つ必要だと納得できる場合にのみ行くべきだ…!!」
相応しくないタイミング(能力が達しない状態)で通う大学って期待するほど凄いところでもないし、相応しいタイミングで通う大学ってめちゃくちゃ面白いところなんだな。
つまり…。社会人になって(大学教育を受けるに相応しい能力が身について)からでも大学行くのは全然最高だと思うよ、という持論。
一回社会に出て、現代社会というものと自分の適合性を考えてから、必要に応じて大学へ進学する、というのも効く人には効くと思う、わたしみたいなズボラパーソンには有効だったろうな…と大後悔。
で、結局高校や大学でバイトしながら云々がベストやん?っていう意見はわたしには無い…。
フルタイムで勤務して、完全に親から自立して…っていう生活を大学行く前に経験しておきたかったな、特に大学で勉強したいこともよくわからなかったくせに!っていう自分への文句でしかないけれど。自分が高校卒業後に学びたいこと、興味を惹かれたことなんて、実にあっさり、ものの2年で叶ってしまったわけで。よく考えて無かったのか…その当時の自分は3年掛けてよくよく考えていたつもりになっていたのに…結局その当時の厨二病的な「使命感」なんてものは「自分の勝手な思い込み」だったのだと気が付いてしまったら最後…という感じなのだ。
それに気が付くだけの能力が当時の自分には無かった、気付くまでに育ち切っていなかった、というだけかな。あれだけ進路指導室に通ったのに…
教育システムが万人にとって相応しいタイミングで相応しい課題を与え、相応しいタイミングで手放してくれるわけではないんだよ…!!!という…。わたしは高校をあと2年くらい留年すべきだったかもしれない…モラトリアムがなんたら~とか甘えてんじゃねーよ云々タラタラ文句言われようが、わたしそこまでの能力まだ育って無いんで!って、一回社会という大海を経験してから生涯のことしっかり設計したかったな!
…というのを、超不器用ながら今、ゆっくりゆっくりのろのろと軌道修正しながらやってんすね…。現時点で人生負け組みカウント!はたから見たら確実にな!
でも…そうでもないかも?って思ってるよ!気に入ってるよ!でも!現状に甘んじちゃダメだろ飼育員さん(お母さん)泣かせるなよッ!
わたしの能力も相応しい開花をするよう祈ってますぜ…(既に開花済みでドライ化一途だったら切ねぇ…それもまた人生…シクシク)